ぴーなっつの投資日記

27歳男性会社員の日々の学びを発信するためのブログ

新卒4年目で昇進しまくっている人の話

最近、なるべく色々な人から話を聞こうとしています。新卒の僕にとって、手っ取り早いのは社内でいろんな人に会うということ。規模的には300人ほどの会社ですが、中にはいろんな人がいます。なので、部署の先輩に頼んでひと紹介してもらい、ランチ行っています。

その中で、最速で昇進しているひとと、ランチに行く機会を得ました。この人は、新卒四年目ですが、10月から社内の9割を売り上げる部署の副部長となりました。見た目もカッコよく、年上の方とすでに結婚もしていてかなり人生の先を行かれているなという印象の方です。

僕のこのランチの目的は、「彼がなぜ短期間にそこまで昇進できたのかを把握すること」でした。ここでは、そこで見えてきた昇進するために必要なことをまとめておこうと思います。







・まずは目の前のことを達成すること
大きく昇進しているからといって、特別なことをやっているわけではありません。その時その時のミッションを達成する事が大切。定期的に成長プランを考えたら、後は目の前の課題に埋没し、達成する。そしたら、成長する。

・自分で叩きを作ってみる
資料を作るときは、まず自分の力だけでやってみる。それも全力を尽くしてやってみる。そして、それを上司に見せる。そこで受けた指摘を素直に受け止め、自分の足りなかったところを認識し、次回からできるようになる。

・二度同じことを言わせない
上司から受けた指摘は、すなわち自分の足りないところ。その指摘された部分はしっかり直し、一度でものにする。これをすることで最速で成長する事ができる。

・上司と次のポジションを握る
昇進するために、次のポジションを明確にし、必要なスキルを上司とともに明確にしたうえで、握っておく。そして、そのスキルを身につけた状態になっていることを示す実績を作る。そうすれば上司も昇進させないわけにはいかない。






主に上記の内容です。
この方は、
新卒→室長→室長×2→副本部長
となっています。


↓↓

室長になるタイミングで、上司と握っていたと言います。そして、その約束したことを達成し、昇進。

驚いたことに今後は、会社を辞めることまで上司と握っているとのこと。そとそも、自分で起業したいと言う思いはあって、そのために、
・いいものを作る力
・いいものを伝える力
・マネジメント
を学びたいと考えていた。だから、最初は新規獲得の部署に入り、伝える力を身につけた。次にアプリ開発チームも兼務し、いいものを作る力を身につけた。一連を通じてマネジメントも身につけた。

この会社に入る際に身につけようと考えていたことは経験できた。そして、これ以上上のポジションに興味はない。

だから、今のポジションで結果を出して、恩義を返したところで辞める。あと2年はいないじゃないだろうか



↑↑



とのことでした。しっかりした人生戦略の中で生きていて、そりゃ昇進もするわなって感じました。


僕も頑張ります。

福沢諭吉の見た横浜

今回は、福沢諭吉が見た横浜の話をしようと思います。



福沢は緒方洪庵という、江戸末期の大蘭学者の元で、オランダ語を学びました。同門の先輩には、後の大村益次郎である村田蔵六もいました。緒方洪庵のお気に入りの門下生がこの2人であったのです。

福沢は頭角を現し、江戸へ蘭学を教えに行くことになりました。江戸に行った福沢は、江戸の蘭学者を回って、難しい文を翻訳できるか確認しましたが、ほどなく江戸の蘭学者は大したことがないと悟りました。自尊心の強い福沢は、江戸なんて大したことないと思い始めてました。

そんな折に、福沢は「横浜の開港場を見物しよう」と思いたって横浜に向かいました。そこで本物の横文字を見たいと思ったのですが、横浜の港市に掲げられた横文字の看板がことごとく読めなかったのです。使われていた言語は英語かフランス語でした。オランダ人がいたとしても、英語を使っていました。

自負心の強かった福沢には、天地のひっくり返る感覚が走りました。洋楽といえば蘭学であった時代で、蘭学を極めた福沢は地球のことならなんでもわかっているという感覚になっていました。

そこで、福沢は悟ったのでした。「世界はすでに英語が主役なのだ」と。苦心の上に学んだ蘭学を捨てるかの判断に迫られた福沢は、「蘭学の窓は狭い、英学の窓は大きい」と思い、一から英語を学ぶ決心をしたのです。

ほどなく、森山というものに英語を学び、かつうまく行動して咸臨丸という遣米使節に乗って渡米してしまいました。そして英語に通じたのです。












この話を聞いて思ったのは、今の僕は何に驚愕し、全身全霊を賭して学ぼうとしているのか?


ということです。答えは、「何もなし」でした。当時に比べて10000倍英語学習がしやすいにもかかわらず勉強してないです。危機意識も薄いですし、なんとなく平和に暮らせています。

今この場で、「おれはこれを勉強するんだ」と書けないのが非常に悔しいですが、このブログの本旨である株式投資を全力で学びつつ、広く世界のことを知り、このブログやツイッターで発信してみることを、継続していきます。
何事もまずやってみて、継続してみることかと思っています。



このブログは、あんまり投資要素が出てきてないですが、ご容赦ください笑
あらゆる物事のアウトプットの場として使わせていただきます。これらの知識がゆくゆくは投資にかえってくるのを期待して、継続していきます。

おわり

【書籍】握る男

この本は、取引先で一緒にプロジェクトをやらせていただいている方と飲んでいた時に紹介していただいた本でした。

「握る男」

ゲソとよばれる男。
この男が、弟子入りした鮨屋を乗っ取り、チェーン展開し、全国のチェーン店買収し続ける。
そして、

日本の食のキンタマを握る。


この目標を達成するため、あらゆる手段を容赦なく繰り出していく。

そんな強烈な物語でした。









最初、「握る」のは、鮨かと思うのですが、その意味は確かにあるが、薄い。


握るとは、人の「キンタマを握る」という意味で終始使われています。つま「相手の弱みを握り、徹底的に使い倒します。1人のキンタマを握ればそいつを使って10人動かせる。またその下の10人を動かせば、100人を意のままに動かすことができる。



ゲソはあらゆる人の「キンタマ」を握って、全員を手下にし、無限に働かせて、帝国を作りあげました。







私はこの本を読んで、

「握る」

という言葉が持つ意味について、かなりとらえ方が広がりました。

・相手の弱みを握る
・経営権を握る
・心を握る
・段取りを握りにいく
・食を握る
キンタマを握る



握る力というコンセプトを持って、今後生きていくことになりそうです。










この男が一貫して変わらないのが、

目的のためなら手段なんてなんでもいい

ということ。

ほんと、とんでもない手段を使いまくる。


それがこの本の面白いところ。知恵にあふれているけど、えげつない。


だけど、仕事でも確かにそうだと思います。

ミッションを達成すること。それがすべて。

それは、合法であればどんな手段を使ってもいい。

それには、人を操ること、キンタマを握ることだって必要なのかもしれない。




ぜひ読んでいただきたいです。普通に面白かったです。


書きなぐりました。



握る男 (角川文庫)

【運用成績0929】

今月末時点での運用成績です。


9月ももう今日が最後ですね。



9月も僕のポートフォリオはまあまあ上下動しましたが、


なんとか先月よりも10万増えました😊




3年間トータル
+47万

今年度
+70万

【運用成績0827】 - ぴーなっつの投資日記
【運用損益0706】年間目標達成!? - ぴーなっつの投資日記
【運用損益0602】運用損益が+に!!! - ぴーなっつの投資日記

ただ、最高点では3年トータル+65万くらいまで行ってたのですが、

ヒロセ通商が2300円代から1800円代下げまくったのと、

ヨシックスで慣れないつなぎ売りやろうと思ったら、
・引けなり注文にせず、途中で売り注文出し、引けに向けて高騰
・より売りを忘れ、その後高騰
・なぜか現物分の譲渡益税を2万取られる
の三重苦を舐め、合計5万ほど手元資金が消えました😭😭


なんか、つなぎ売りを信用でやるのもいいんですが、まだ全然仕組みわかってなくて、今回は痛い目にあってしまった形です。まさか、現物分の譲渡益税が引かれるとは、、、


みなさんもお気をつけください😭


とまあ愚痴を垂れてますが、そこそこ順調には来てます。


ただ、北朝鮮リスクや、日本の衆院解散があり、不安定な状況が続きそうです。

少しポジション下げてもいいかなとか思うのですが、

結局僕にはマーケット読む力がないのです。

ただ、地道に成長してくれる会社にお金を預けるのがやっとなので、

あまり気にせず、多少現金比率を高める程度にとどめておきます。

もちろん、経済の勉強は続けて、少しでも予測できるようにはなって行きたいです。


引き続きよろしくお願いします。

投資仲間を作りたい!

こんにちは!
ぴーなっつです!


僕が今回宣言したいのは、

「投資仲間を作りたい」

です。



僕は今年で運用3年目ですが、これまで投資仲間はいませんでした。大学の友達を誘ってみたりとかはしてたのですが、なかなか本格的にやってくれる人もおらず。

そもそも、

金持ちになりたくないですか?

という問いに、

金持ちになりたい

とはいうけれど、何もしない人が多いように感じております。やはり、思うだけではダメで実際に行動しないといけないと思います。(これは自分への戒めも含めて)

行動を変える - ぴーなっつの投資日記

そんなこんなだったのですが、社会人になり、周りも給料をしっかり貰い出したからか、以前より投資に興味を持つ人が増えてきたように感じております。

まず、同期で1人実際に始めてくれたし、もう1人証券口座を開くところまで行きました。今は隔週で、念願の「投資会」という名の下でランチに行っています。まだ僕が教えるだけですが、ゆくゆくは彼らが持ってくる銘柄について、僕が自信のある銘柄について、ビシビシ議論できるようになることを期待しています。

また、大学の頃の友人で、少し興味を持っている人が、この前会った時に、

「俺証券口座作ったから、教えてもらってこの場で買うわ」

といい、少し手伝ってその場で買い注文を出したのでした。大変嬉しかったです。
彼は商社で働いており、日々財務三表とにらめっこしているらしく、すぐに精緻な銘柄分析のできる人になってくれると信じております。



この20代での小さなスタートが、今後の人生で大きく、とてつもなく大きく効いてくると思っています。
だから、僕は周りの人にチャンスを与えたいのです。気づいて貰いたいのです。
ここで気づくか、遊んですべて散財するかで大きく変わってくるかと思います。
投資家の感覚と思考法を持って生きることにより、人生より豊かになるはずです。




上司はよくいいます。


20代のうちは、給料なんて残らなかった。すべて遊びに使った。でも、今はその経験が糧になっているし、それでできた人脈もある。こう行った積み重ねが人としての魅力になる。だからお前達も金を使え



しかし、私はうんうんうなづきながらも、糞食らえと思っております。

もちろん、様々経験していることは人としての魅力となっていくのかと思いますが、それは貯金をした上でのこと。

全て使ってしまったら、未来は決して変わらないんじゃないかと思います。





人それぞれ価値観があると思いますが、私は投資家の価値観を持って行きていますし、それを広めて行きたい。(それこそバビロンの大富豪の世界観を)
【書籍】バビロンの大富豪 - ぴーなっつの投資日記


日本中の人々が株式市場に参加すれば日本はもっとお金が回って元気になるじゃないかなと思っています。

ゆくゆくは、自分自身が投資家にとっての光になりたいなと思っております。


それが僕の夢です!















とまあ、色々書きましたが、いいたいことは、

投資仲間を作りたい!

です。笑
また新しい仲間ができたら、ブログ書こうかと思います!

【書籍】生涯投資家

「生涯投資家」

この本ですが、













控えめに言って、

















めちゃくちゃ感動しました!!








はい。これを何としても伝えたかったので、冒頭にでかでかと書かせていただきました。

この本の著者は、村上世彰さんです。村上さんといえば、村上ファンドで儲けまくってフジテレビの一件で逮捕されたという、なんか胡散臭い人、と捉えておりました。みなさんはどうでしょう。


この本によって、僕は180°村上さんの見え方が変わりました。確固とした信念に裏付けされた投資を行い、日本をなんとか変えようとした、その表現があの村上ファンド、村上さんの生き方だったと知りました。




日本は、企業も個人もお金を溜め込んでいて、循環が起きない。だから、経済も成長していかない。
こんな状況を変えていくためには、企業はコーポレートガバナンスを導入し、資金を好循環させることが大切。本来調達した資金は、新しい投資に振り向けるか、投資先がないなら株主に還元していくことが上場企業の義務。それが嫌ならMBOなりして、上場をやめるべき。

投資家は厳しいチェックを絶えず行い、資金を持て余している企業がないかを調べる。そして、資金をうまく使えていない企業には、経営の変革を堂々と求めることが大切である。
これがアクティビストであり、本来市場には不可欠な存在なのである。村上さんもその1人。

個人が資産の半分近くを現預金として持っている日本は完全に経済が枯れてしまっている。一人一人がより良いお金の循環されていくことが重要である。



こういったことを村上さんは信じ、投資を通じた行動によって、世間に投資とはなんぞと、コーポレートガバナンスはなんぞと説いていたのでした。

そんなことを全く知らず、詐欺まがいの成金と思っていたのは非常に恥ずかしく、申し訳ないという気持ちになりました。

本の中には、具体的な事例にどのような思いで、どのような方法で投資し、経営に働きかけてきたのかが書かれています。僕にとっては目から鱗で、「こんな投資の世界があるのか」と驚くばかりでした。

・保有資産を活用せず、社長の独断で投資を行い損失を出していた東京スタイルに株主還元を求めたり、
・資本構造がおかしくなっていた、日本放送の株を買いこみ、変革を迫ったり、
・阪急鉄道を大再編させようとしたり、





ただ、株を買ってうるのではなく、その会社の中身まで変えようと働きかけていく。

そんなことが投資にはできるのだなと知りました。

自分も日本という国が、少子高齢化社会の中で、再び成長できるように、再び偉大な国にのし上がれるように、投資を通じて働きかけていきたいと思いました。

今は、一個人投資家として、一会社員として、コツコツ自分のビジネス眼、ビジネススキルを身につけていくことかと思います。


そして、














いつの日か投資家として羽ばたいてやる!


以上です^_^






生涯投資家

【書籍】チューリップ・バブル

今回は、チューリップバブルの話です。



時は17世紀。
オランダで、チューリップが人の心を狂わしたのでした。

その時代の心の乱れは、きっとその後のバブルでも繰り返されて来たと思います。だから、この花の舞を丁寧に勉強することは、その後のバブル、これからのバブルを紐解いて行く上で、非常に役に立つと思うのです。




歴史は繰り返す。






投資家として成功したいなら、投資の神様といわれている人々の話を聞くよりも、歴史や哲学を学んだほうがいい。
ジム・ロジャーズ



では行きましょう。
チューリップ・バブル

↓↓↓↓↓↓↓

1562年の秋のある日、イスタンブールからの船に北ヨーロッパ初めての球根が入っていた。

初めは、玉ねぎだと思われ畑に植えられました。すると次の年の秋、奇妙な、しかしとても美しい花が畑に咲いたのであった。



花の美しさと、球根の持ち運びやすさや扱いやすさが手伝って、徐々に、大々的に普及することになる。


チューリップは交配しやすく、どんどん新品種が生み出された。乱立し秩序がなくなって来て、どの品種が高価なのか、貴重なのかわからなくなってきた。



クルシウスという大植物科学者によって、分類・整理がされた。これにより、のちのチューリップバブルの土台となる判断基準が整備された。


そうして徐々に徐々にヨーロッパ中へと広まっていったのであった。


一方で、

アメリカ大陸で発掘される金や、インド航路による貿易の収益で、ヨーロッパには未曾有の富が流れ込み、人々は目新しい金の使い道を探していた。


オランダは1590年ぐらいからヨーロッパ一裕福な国になり始めていた。オランダの貿易黒字はとてつもなく国を富ませた。重要なことだが、チューリップが富と趣味の良さの象徴とかしてきた。

1620年ごろには、オランダ中に園芸専門家が分布するようになった。最高品種はすでに値上がりを始めている。需要と供給のバランスが合わないので、裕福な人でも高価なチューリップを集めることは難しかった。

1633年には、栽培業者、愛好家、植物収集家などの尽力によって品不足が解消されていたので、チューリップはオランダ全土で入手可能となった。

この頃になると、チューリップ市場に新たな買い手が現れた。彼らは、チューリップに関して詳しくない。買う目的は、栽培ではなく転売となる場合が多くなった。

1635年ごろになると、チューリップに投資する人が増え始めた。チューリップを自分で育てるのである。当時、労働は14時間と夜明け前から働き、日没後まで働くというのが労働階級の人々の日常であった。80時間ぶっ通しで鉄打ちをするより、また機織りに励むよりずっと楽な作業であった。そして、需要は着実に増え、値上がりを続けていた。まったく、他に比べれば安全な賭けであった。

最初はゆっくりと上昇してきたチューリップ相場であったが、1634年に入るお突如急激か上昇をとげ、1635年も加速度的な上昇は続き、1636年冬には、1週間で価格が2倍になる球根も現れた。

・専門家が秩序だった取引所を作ったおかげで、知識のない人々も取引にできるようになった。
・当時少額から投資できるものはなかった。そこに突如としてチューリップが現れた。
・織物機のような本業の資産を担保に入れて、お金を借り、チューリップ市場に参加する人が出てきた。
・最初は夏だけに限られた取引は、土に埋まっている季節も取引するようになり、年間取引可能となった。

そして、1636年11月と1637年1月で頂点を極めることとなる。

・1日10回以上取引される球根もあった。
・全財産を担保に入れ、借金しチューリップにかける人々が現れ始めた。
・父親の残した球根を売った子供達が大金持ちになった。
・取引契約を結び、支払い時期が来る前に購入の権利を別の人に転売した



どんどん価格が上がった。
一部の人は疑問に思い始めた。


そして時は来た。


1637年2月初週

いつも通り、古参のメンバーが取引を仕掛けた。

売れないので、さらに値を下げる。



売れない。



どこまで下げても売れない。



このニュースはオランダ中にあっという間に広まった。




そして、時期に全ての市場が崩壊した。





ほとんどの球根は無価値に。
からじで売れるのは最高品種のみであったが、価格は1000分の1となったのであった。

















いかがでしたでしょうか。人の狂乱は凄いものです。

バカな話だと思いますが、今までなんどもバブルは起きて来ました。

今後も起きていくことでしょう。

だから、私たちは過去の歴史から学び、

・バブルに翻弄されない
・むしろ圧倒的に設ける

ことができる投資家を目指さなくてはいけないと思うのです。


チューリップ・バブル―人間を狂わせた花の物語 (文春文庫)
おわり