ぴーなっつの投資日記

27歳男性会社員の日々の学びを発信するためのブログ

福沢諭吉の見た横浜

今回は、福沢諭吉が見た横浜の話をしようと思います。



福沢は緒方洪庵という、江戸末期の大蘭学者の元で、オランダ語を学びました。同門の先輩には、後の大村益次郎である村田蔵六もいました。緒方洪庵のお気に入りの門下生がこの2人であったのです。

福沢は頭角を現し、江戸へ蘭学を教えに行くことになりました。江戸に行った福沢は、江戸の蘭学者を回って、難しい文を翻訳できるか確認しましたが、ほどなく江戸の蘭学者は大したことがないと悟りました。自尊心の強い福沢は、江戸なんて大したことないと思い始めてました。

そんな折に、福沢は「横浜の開港場を見物しよう」と思いたって横浜に向かいました。そこで本物の横文字を見たいと思ったのですが、横浜の港市に掲げられた横文字の看板がことごとく読めなかったのです。使われていた言語は英語かフランス語でした。オランダ人がいたとしても、英語を使っていました。

自負心の強かった福沢には、天地のひっくり返る感覚が走りました。洋楽といえば蘭学であった時代で、蘭学を極めた福沢は地球のことならなんでもわかっているという感覚になっていました。

そこで、福沢は悟ったのでした。「世界はすでに英語が主役なのだ」と。苦心の上に学んだ蘭学を捨てるかの判断に迫られた福沢は、「蘭学の窓は狭い、英学の窓は大きい」と思い、一から英語を学ぶ決心をしたのです。

ほどなく、森山というものに英語を学び、かつうまく行動して咸臨丸という遣米使節に乗って渡米してしまいました。そして英語に通じたのです。












この話を聞いて思ったのは、今の僕は何に驚愕し、全身全霊を賭して学ぼうとしているのか?


ということです。答えは、「何もなし」でした。当時に比べて10000倍英語学習がしやすいにもかかわらず勉強してないです。危機意識も薄いですし、なんとなく平和に暮らせています。

今この場で、「おれはこれを勉強するんだ」と書けないのが非常に悔しいですが、このブログの本旨である株式投資を全力で学びつつ、広く世界のことを知り、このブログやツイッターで発信してみることを、継続していきます。
何事もまずやってみて、継続してみることかと思っています。



このブログは、あんまり投資要素が出てきてないですが、ご容赦ください笑
あらゆる物事のアウトプットの場として使わせていただきます。これらの知識がゆくゆくは投資にかえってくるのを期待して、継続していきます。

おわり